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ふざけんなよって、いろんな人に無責任に叫びたい

私がクソほど興味のない どうでもいいものをみんな面白がるからそりゃまわりがくだらなく思えるわ

まあふざけんなよっていっても、ふざけんなよなんて思っていないし、意味があるとすれば「どうでもいいよ」だろうなって思う

私の何も知ろうとしなかったお前に、都合よく会いに来たり帰ったりするお前に、私はどう思っていたのかを知って付き合わなくていいと言うお前。いままでも今もどうでもいいし私は何も変わらないよ。

今だって自分の見たものだけに目を奪われて本当の私の本質を見ようとしていないお前。それが  あああああ  考えたくもないよ

嫌うなら好きなように嫌え 私は何も変わらないから 

私は昔から昔から昔から子供のころからお母さんが全てでお母さんがかわいいと言った洋服は好きでなくてもかわいいと言ったし 私が好きと言った洋服にお母さんはハッキリとあんなのが好きなの?というから自分の好きな洋服なんて言えなかった 昔から昔から昔から、あんた全身傷だらけだねと言われ続けて、お母さんを気遣ってよかれと思ってやった行為はハッキリと好きではないと言われていた

最近自分の喋り方がお母さんに似てきていてほんとうにはやく家を出たいと思う

父の嬉しそうな顔はいつも母親のきつくハッキリとした言葉に消されていて、私はそれが本当に悲しかった。大好きなお母さんが大好きなお父さんの笑顔を全部潰して、私は「いつもありがとう」っていつもいつも言えない、素直になれない私ができた。断れないやつになった。自分の思ってることが言えない自分になった。嫌が言えなくて、誰も傷付けられなくて、いつも自分を傷付けるのが当たり前で、純粋なお父さんがいつもいつも痛々しく見えてそんな自分が大嫌いで大嫌いで、お母さんみたいに自分の意見を絶対に絶対にってそんな人が大嫌いで、それでも両親のことが大好きで、優しいしゅんしゅんのことが今だって大好きで、そんな私のしゅんしゅんの存在をお母さんは奪って、お母さんは叔父と叔母の離婚のことを何にも教えてくれなくて、いつだって愛されることを求めて誰にもこの気持ちを言わなくて、誕生日だって誰にも覚えてもらいたくなくて、誰にも祝われない誕生日が欲しくて、私はいつだって孤独を望んでいつだってそばのイヤフォン越しの音楽で気持ちを安定させている 私を見てって 私を私を、全部全部ぜんぶ、えぐり取って苦しみも過去も愛しているものも性格もぜんぶ知ってって、泣きながら音楽を聞いてこんな文を打っていつだってひとりで頑張っているんだって、いつだってひとりで頑張ってきたんだよって思う、幸せだった記憶を何度だって繰り返したいから柴くんに会いたいと思うし、また吸いかけのたばこを吸わせてって思って、またひとりでおいしいものでも食べている。それが腹6分の幸せで、両親からいつも逃げている。愛しているのに。本当に心から、こんなにも大好きなのに、逃げている。会いたくないと思っている。自分の中だけの思いをこういうふうに音楽で全部出して出して出して書いて、どうして見てくれないのと、どうして想ってくれないのと、あの人に言われた、今でも想ってくれているのかな、もしそうだとしたら本当にありがとう、嬉しいよという言葉を思い出している。寄るな喋りかけるな、抱きしめて欲しいと

誰かに想われ泣かれたいと、どこにも届かない私と、誰にも、誰にもと

三者面談の時、担任に私はマイペースすぎるところがあると言われた、担任なのに、担任なのに私を見てくれていた。私を見てくれていたんだと、本当に嬉しかった。私を認めてくれている人がここに、学校にいたんだなと思った。

母親は、そんな私にわざとやってるんじゃないの?と言った。昔もわざとやってるんじゃないのという言葉を、よく言われていた。やっとやっと、自分が好きになれたのに。自分が大好きで愛おしくて、こんなに頑張る自分が、こんなにすてきな感性を持つ自分が本当に大好きになれたのに、母親は私のことを何にも見てくれていなかった。何で私のことを、一番分かってくれないの、私はお母さんの性格も嫌いなものも好きなものも全部分かるのに。なんで私のことを見てくれないの。私のことを、昔からどうして認めてくれないのと、わたしは感情だって自分勝手だ。誰にも言わないのに愛を求めて、誰にも言えないから期待して、そんな自分が、そんな音楽が、大好き。雨も雨に濡れることも、泣いているところを見られることも、うわさをさせることも集団になじめなくて浮くことも、ひとりになることも大好き。誰かを圧倒させることも、ドキドキされることも、楽しんでもらうことも、大好き。どこにもなじまないでひとり絶対に流されないで、誰にも負けなくなくて、だれかに肩を抱いて欲しいと思う。それでも誰でもいいわけではないと、いままで自分がしてきたように、いろんな出会いがあっても誰に対しても同じように一定の距離を保って、喜ばせたり楽しませたり、それが自分がしたくない本心ではないものであっても。

全部全部、消えてしまえと、死んでしまえと思うけれど、わたしはいつだって冷静だし正気だ。狂ってなどいないしわたしは、病んでいるという言葉が大嫌い。全部本心だ。それでいて自分の持ってる思いを、全部書いているわけじゃない。Twitterのふたつめのアカウントに書いてあることが全てじゃない。どうしてそんなこともわからないの。都合よく自分が傷付いたわたしの発言だけを見ている。どうしてわたしの全てを知ろうとしないの。だから嫌いなんだよ。

もう全部なんでもいいけどさ

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