バランス良く、狂いましょう。

じょうずに隠せるようにはこれ以上なりたくない。何か知ることでなにか忘れたくない。自分のための優先順位を常に冷静に分かっていなきゃ、自分はすぐ流されていく。最近「普通」にハマってたけど、流行りものやふつうのものの良さはもうじゅうぶん知った。気をつけなくては、わたしが何もかもをふつうにできるようになってしまう。波に流される!

いろんなもの見てきてしまって、もともとの自分の色忘れかけてる。たくさんおぼえたことの中に自分の進む道見つからなかったから、まだ一歩も動けていない。自分に戻って、今から初めて歩き出さなくては。

けど、何かできるようになってなにかできなくなることは、仕方のないことだよな。

せめて、自分が自分を信用できるための、一貫性のある行動を取りたい。

先が見えないことで湧いてくる自信や期待を持てたのは、事実、10代で終わっていたのだ 自分よ。手放す勇気を持ちなさい。

恥かしさについて

何も間違えたくない。自分の望みのままに正しくすべて選びたい。何も逃したくはない。私のしたいこと全部叶えてあげたい。その思いで近頃ずっとひどくぐるぐる悩んでる。何もハッキリ決められないままボーッと過ごしてる。何にも決められない。買うか買わないか、付き合うか付き合わないかとか。自分は何かを決めることすごく苦手のようで、なんでもない2択のうちのひとつを、本当にそれが正しいかの確認をいつも頭の中でずっとする。何も見逃さず、何も取りこぼさないようにするために、素直な思いを持つわたしを、もうひとりが「正しく」矯正しようとする。

それは恥をかかないための「正しさ」。恥をかいて誰かに見放されて、わたしが傷付かないようにするための。自分自身が世界で一番恐れているものを知ってしまって、無茶な癖を持ってしまった。意識が過剰に反応して、人といる時の私はいつも緊張している。

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ふつうの人には当たり前にわかることが時々さっぱりわからなくて、間違えた気持ちになる。

けど「わからない」「しらない」ことが、時として罪になることがあるということを、既に自分はもう知っている。悪気の有無に関わらず憎まれることだ。その気持ちをきちんと味わったことがある。

 

何でもできると知っているけど、人には個性がある。どうしても、できないことを持つ人もいる。自分もそう。避けて通る道はその道を見てからでないとそうだとはわからない。すべてうまくやることはできない。その日々の中でときどき、辛すぎて泣いてしまう。

2020.9.18

今日は、新しい友達ができた。2個上のシングルマザーの女の子。

生後二ヶ月の赤ちゃんをひとりアパートで育ててて、わたしはその二人暮らしのおうちに今日あそびに行った。二つ部屋があって、一つは赤ちゃんと一緒に寝る寝室、もう一つはキャメル吸う部屋。

初めて会ってすぐわたしの長いネイルの爪を可愛いー!!って褒めてくれて、さらさらにしてるわたしのきれいな金髪、きらきらにデコったIQOSのケース見て、自由で羨ましい。女の子っていいね。ってずっと言ってくれていた。

赤ちゃんは女の子で眉毛もまだ生えてなくて、五分おきに泣いて起きるから、お母さんわたしとゆっくり煙草吸う暇もなくて、わたしの目の前でおっぱいあげたりしていた。

生身の赤ちゃんをわたしは今まで一度も見たことがなかったんだけど、見たことないくらいきれいな柔らかい髪の毛がうっすら少しだけ生えてて、頭蓋骨の形そのままみたいな形の頭してて、肌なんて、血管とか細胞とか、中身が透けて見えちゃうんじゃないかってくらい透き通ってて、わたし生き物の皮膚をあんなにきれいだと思ったの生まれて初めてだった。

けどなんか、抱っこさせてもらったとき、その子が人間っていう、自分と同じ種類の生き物なんだと全然思えなかった。宇宙人見てるみたいだった。このいきものに、「人間としての命」が宿っているのは言うまでもなく間違いないとわかっているけど、自分と同じいきものには見えなかった。この子は人間だって分かっているけどなにか違う生き物に見えた。

踏んだりしたらすぐに死ぬんだろうなと思った。ミキサーにかけたらあっという間にぐちゃぐちゃになってきれいに混ざってどろどろの液体になりそうだった。それぐらい骨までまだ柔らかそうで、あまりにも弱体な未確認生物みたいに見えた。

赤ちゃんの、そのなんだか恐ろしい宇宙人らしさが、人間のすべての原点なんだって思って、あたまが爆発しそうになった。間違いなくこのこども、お母さんいなかったら死ぬんだなって思った。人間のいちばんさいしょのさいしょを見た。その個体ひとつだけでは、生きていけない。生き物ならば誰しもが通る当然の原点を目の当たりにした。自分はとっくに通り過ぎた通過点にすぎないのだけれど、これを通って自分もいま人間になったんだと。そのことの大きさを目で見た。

お母さんが、限りなく純度の高い愛のまなざしでこの子に話しかけているのを見てこころぶっ壊れて、泣くところを見せてしまうとこだった。真の親の姿を見た気がした。生き物としての。なんだか今まで決して見たことのないものを今日は見た。なんか、赤ちゃんが宇宙そのものくらいの規模のすごい塊に見えた。

赤ちゃんが寝てから、お母さんと宅配ピザを食べた。お金はわたしが出させてもらった。まだ授乳してるお母さんにこんな添加物の塊食べさせてしまっていいのか心配だったけど、「今日はチートデイなので!」って言っていたので食べた。部屋に、お昼に食べたらしいマックの袋もあったのでそういう日があっても大丈夫なのかなと思うことにした。このたくましいともだちとわたしはすごく趣味が合った。部屋にまっピンクのセンターテーブルがあって、これものすごく可愛い!と言ったら、前にドンキで買ったのを元旦那に車で運んでもらったと言ってた。もう別れてしまったので、買い物に行くときに車がないから不便だと。ともだちは、私の持ちもの全てを可愛いって言って、わたしのこともすごく可愛いってずっと褒めてくれた。おっぱい大きいねとか。自由で羨ましいとも、純粋に言ってくれた。わたしはそれだけは正直に「うん」って言いにくかった。「わたしはいま自由で幸せだけど、お母さんも本当はものすごく幸せなんだって知ってるよ」って思ってたけど言えなかった。

何かを持つということは、不自由になることだと思う。なにかを持って生きてくって決めることは、違う何かを持てなくなることだ。バックの中に色々入れていけば空きスペースは狭くなっていくし、両手に荷物いっぱいじゃ重たくて疲れるから。

けど自由か不自由かということは、幸せかそうじゃないかということではきっとない。こどもを持って、幸せになることも不幸になることもある。しごと、こども、夫、家族…。こういうものは、そのひとの人生の持ちものだ。人生の持ち物を自分の力ではまだなにも選んだり決めていないわたしを羨ましいと言うともだちの気持ち、苦労している彼女の背中を見てよくわかった。

それがあるかないかのところでわたしとともだちは違ったけど、このふたり家族とおんなじ時間を過ごせたことの大きい意味、骨身にこたえた。ともだちは不自由だけど、この子を産んで育てるって決めたこと、永遠の宝物を持ったことの幸せを、ともだちはちゃんとわかっているだろうなと思う。勇気を持ってそれを選んで貫き通した先の自分にしかわかんない幸せを知れるって、どんだけ幸せか。

別れ際「今日はすごい世界線をみた。」って言ったら笑われた。一緒にくったピザ、すごいおいしかった。「わたし、パイナップル載ってるピザめっちゃ好きなんですよお」って言ったら食べてみたい!って言ってくれて頼んだピザハットのハワイアン、めっちゃ美味しいー!って言いながら食べてくれててめっちゃ嬉しかったー(泣)。頑張ってるひとにたくさん笑ってもらえて心から嬉しかった。

みこちゃんも意外とすぐ結婚したり子供産んだりするかもよ!って言われて、帰ってる時にどうなんだろうなーって考えてたけど、ひとりでやりたいことまだたくさんあるから、たぶんまだまだ先だなーと思った。

けど、今日見たものののこと考えたら、憧れずにいられない。いつかわたしもじぶんの家族持ったとき、大人になった今の赤ちゃんに、じぶんの子供を見てもらいたいなと思った。もちろん、今日出会えたたくましいお母さんにも。

 

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アイラブ自分♡

どんどん良く変わっていってるのが分かるよ。好きな人たちのこと好きなだけなのに、気付かないうちに自分で自分の首絞めてて、なんでー、ってなっちゃうことまだよくあるけど、けどいろんなこと変わっていってるから。ゆっくり。今日も世界一かわいいみこちゃんのために、頑張るから見ててねー、みこちゃん!もっといろんな人と出会って、いろんな人と話すぜ!わたしはこころが綺麗な人間でい続けたい。「自分を大切にする」ってことばの意味をもっと深く知りたい。まだわからないから。心の底から自分のことが恥ずかしくなる時がしょっちゅうあるけど、わたしはわたしの、いかれたベイベーなのだ!!勘違いされることがすごく怖いから、人に言わないことを選びながら毎日過ごしたいな。自分は、ここにずっといるのだから、大丈夫よ🙆🏻‍♀️