孤独について考える

ひとりというものに慣れていく。孤独がどういうものなのかゆっくりとでも分かってくる。それをわかる必要がある人、ない人の両方がいることも知る。

「いま世界で独りぼっちだ」っていう気持ちを持ったことがない人とか、持つ必要がない人に自分はすべてを許すことはできないなと思ってしまう。

同じものを持った人と分かりあったりしてみたい。それだけを切望して、生きていってもいいと思う。でもたったそれだけで、人間としての中身がないようじゃ、きっと誰にも選んでもらえない。だからって誰かにじぶんを選んでもらうことに命をかけるのも正しいとは思わない。好きになってもらったり、じぶんを選んでもらう「必要」はないと思うから。死ぬまでずっとひとりでいて、悲しいことなんて何もないと本気で思う。

ところで中身が無いというのはきっと私が思っていた程そんなに悪いことではない。私が単純に個性のないひとのことが好きではない、なりたくないだけで、いい人間になる必要が本当にあるのかと考えたらおそらく当然そんなことはない。ただ「中身が無いようじゃきっと誰にも選んでもらえない。」というのは、私自身がその人らしさのない人に選ばれたいとは思わないという上で、好きな人に選んでもらえないなら何にも意味がないからだ。

誰かひとりにちょっとでも嫌なことを言われただけで、いつも私といてくれる友達とか全員もそう思ってるんじゃないかって気持ちになるけど私が選んできたひとの中にそんなこと言う人はいない。私を大事に思いやってくれた人になんで分かってくれないのってあまったれたくはない。それでもしょうがない時がある。それでも分かり合えない人がいる。愛してる人なのに分かってもらえない時がある。

ちゃんとひとりでいるということは、おそらくいつでもちゃんとじぶんひとりで考えるということだ。自分が辛くなる方を選ぶ癖を克服したい。楽を選んでるからひとりをえらんでるのかもしれない。

私はいままでの自分のふるまいが他の人の誤解を生みやすかったって教えてもらって自分もたしかにそうかもしれないと思ったのでそれを自覚して他の人に伝わりやすいことばを選んだりするようになったんだけど、ことばって難しいものだなと思った。メンヘラとか病んでるとか変とかって言葉を自分に対して言われるとそれだけでそのことばを使った人をいつも恨んでしまってる私はきっと間違っているんだろうなと最近思った。行為だけを見てその人自身のことわかった気になって否定するのは、私がいちばんされて悲しいことだって分かっているのに私も同じことをしている。私は私だからこそやっちゃいけないことがある。

誤解を生まないため・人と人が分かり合えるためのことばと文章の研究とかしようかな大学で。

これからもまだまだ考える。ずっと頑張ってたら、絶対なんでもできる。絶対なりたい自分になれる。もっと良い文章書けるようになりたい。

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